人生を語るとき、私たちはよく「生き様」を讃えます。確かに、一度きりの人生です。思う存分に羽ばたき、夢を追い、成功を収め、豊かな生活を築き上げることは、誰もが憧れる素晴らしい生き方でしょう。
「私は起業して大成功を収めました」
「海外にも複数の邸宅を持っています」
「子供たちは一流大学に進学し、誇らしい限りです」
「若くしてFIREを達成し、好きなことだけして生きてます」
「好きなことを仕事にできたので、毎日がめちゃくちゃ楽しいです」
そんな輝かしい人生を歩む人たちの話を聞くと、誰もが羨望のまなざしを向けずにはいられません。
(正直、私もうらやましいと思う!)
SNSには華やかな日常が投稿され、講演会場では成功体験が語られ、多くの人たちがその背中を追いかけようとします。
しかし、私はあえて問いかけたいのです。
人生の終幕を飾る「死に様」について、考えている人はどれだけいるのだろうか?と。
残念ながら、世間では成功者と称えられた人たちの最期について、あまり明るい話を耳にしません。
相続を巡って家族間の確執が深まり、莫大な資産が争いの種となり、かつての輝かしい人間関係が瓦解してしまうケース。
大切なデジタル資産のパスワードが不明で、遺族が途方に暮れるケース。
生前整理が不十分で、残された家族が何年もの歳月をかけて整理せねばならないケース。
生前の華やかさとは裏腹に、その最期は混乱と後悔に満ちていることが少なくありません。
素晴らしい生き様を見せた方であっても、その死に様までをも含めて「人生の完成」と呼べるケースは、実はそう多くないのです。
つまり、私たちに求められているのは、生き様と死に様、この両輪のバランスを取ることなのでしょう。
財務的な成功や社会的な地位も大切ですが、同時に、自分の死後に残される人々への思いやりも忘れたらいけません。
終活とは、究極の愛情表現だと私は思っています。
華やかな生き様に目を奪われがちな現代社会だからこそ、私たちは「死に様」という視点をより大切にする必要があるのではないでしょうか。それこそが、本当の意味での「人生の完成」に近づく道なのかもしれません。
生前の輝きと、その後に残る温かな余韻。両方を大切にできる人こそ、真に「あっぱれな人生を送った!」と言えるように私は思うのです。
実は私自身、日頃から終活に取り憑かれているわけではありません。
過度に意識することなく、ごく自然な形で取り組んでいます。
自分が後悔しないように、そして何より大切な家族や周りの人になるべく迷惑をかけたくないという思いから、エンディングノートを書き、デジタル資産のパスワードなどが分かるように整理と管理をしています。そしてその上で、「自分のやりたいことを、一つでも多く叶えて、思う存分楽しむ!」という気持ちで日々を過ごしています。(これからもっともっと旅行したり、やりたいと思っていることをやっていくぞ!)
言葉にすればこれほどシンプルなこと。
簡単そうに聞こえるでしょう?
でも最近気づいたのですが、実はこれが思いのほか難しい方が多くいらっしゃるのです。
そして興味深いことに、終活に向き合えない方々には、共通して様々な課題を抱えている傾向が見られます。
日々の生活に追われ気持ちの余裕がない、時間的な制約が強い、経済的な不安を抱えている、人間関係に悩んでいる…。とにかく自分や周りを気遣う精神的・時間的な余裕が持てない状況に置かれているのです。
少し辛口な物言いになりますが、もう一つ気になる傾向として「想像力の乏しさ」があります。
自分の死後の状況を具体的に思い描くことを恐れる、あるいは想像することすら避けてしまう。そのため、終活という行為自体の意味や価値を見出せないままになってしまうのです。
では、私たちは具体的に何を恐れているのか。
その死生観の根底には何があるのか。
この深い問いについては、またいつか改めてお話ししたいと思います。
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かなだのりこ(りのっちゃ)
海外在住者および日本在住者向けに終活をサポートする
カナダ・バンクーバー在住の海外終活アドバイザー
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